2012年1月19日(木)

先日、パシフィコ横浜の脱原発世界会議の会場へいってみました。わたくしにとっては早朝と呼ぶべき時間の開場で、ねむ〜ィ目をシバシバ〜っと入り口へいくと、ピースボート・スタッフで友人の光枝萌ちゃんがむかえてくれてホッとしたりして・・・入場してすぐに、友人たちがいるはずのスペースをさがして、むかいました。彼らはピースボートの船上でハプニングしてできた、僕のウタうワーク・ショップFriendshipのメンバーたち(ということは僕にとってはカワイイ子ども達みたいな・・・カワイイ兄弟姉妹たちみたいな・・・存在なのです。)
で、おもに北欧のエネルギーやローカルな村づくりをテーマにした発表をするというので、開場に間に合うようかけつけたわけ・・・。Friendshipのリーダー的な存在だったスバル君や、リトル・アイちゃん、ムーミンたちのお話を、ここのところ原発ブルーだったわたくしは、久しぶりに微笑ましい感覚で聴きながら、やはり希望の星はこんな若い人たちだあああ!と、つくづく感じましたっ。なかでもサトウアイちゃんが作った映像はヤバカッタ。僕は泣き虫でいがいと有名ですが(苦笑)こんときはさすがに涙があふれそうになり・・・ひたすら目を閉じるしかありませんでした。そんな彼女たちの想いをみなさんとShareできたらなあ・・・

どーーーーーぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=GaL42pry4-g&feature=share

追伸
サトウアイちゃんの映像にはトップ・ページからすぐに見られる様にしときましたからね・・・
そちらからご覧くださ〜い。そこからならインターネットわかりずらい、さぶろうおじいちゃん、はつこおばあちゃん、ナオミおばあちゃんもみれるでしょう?
あいをこめて。マツヤフユタ

[106]  (2012/01/19 Thu 23:01)

2012年1月11日(水)

寒中お見舞い申し上げます。

北海道、浦河の「べてるの家」のみんなはお元気かなあ・・・いつも東京で暮らす僕らに、たいせつでユーモアあふれるメッセージを届けてくれる。
みなさん、お葉書ありがとう。

今年もべてるのみんなを思い出して・・・
「おりてゆく人生」を
「おりてゆく音楽」を
お客の重荷を「おろしてゆく音楽」を

なぜなら
「僕らは疲れています。すこ〜し休みましょ〜う。。」

と、いうわけで、野生動物がみじか〜い冬眠に入る様に、
正月あけのe−mail断食に入ります。
ので、
しばらくはそんな感じの連絡はとれなくなると思います。年賀状も書かなかったわたくしですが、だいじな人たちに、ゆっくり手紙を書きたいと思います。

明けましてお芽出とうございます。今年蒔いた種が芽を出しますよ〜に。
よい年になりますよ〜に。。。マツヤフユタより

[105]  (2012/01/11 Wed 02:43)

2011年12月31日(土)Pt.2

今年は3・11の直後、家族を日本に残してピースボートに乗りナポリ、そしてギリシャでは東北への義援金を募るパレードで若い人達とWe are the worldを歌い、帰国後は家族を移していた九州熊本と東京を行ったり来たり飛び回り、5月の国分寺カフェスロー10周年記念日には、那須の非電化工房より脱原発へのお話にいらしてくださった非電化発明家の藤村靖之さん、福岡からフェアトレードの草分けで脱原発への活動をずーーーーーっとしてこられているウィンド・ファームの中村隆市さん、全国の牧場をまわっていらっしゃるホース・セラピーの寄田かつひこさん、モンテッソーリ教師こどもたちの通訳のひと深津高子さん、そしてオーナー吉岡淳さん。わたくしもとっても尊敬する方々が集まりました。この集いをきっかけにずーーーーーっと歌いたかった名曲Bridge Over Troublewaterを歌い、その後も僕がめげそうな時、心の師であり友である環境活動家の辻信一さん、善了寺カフェデラ住職の成田さん、江戸学の田中優子さんたちに、「これは3・11後を生きていく人たちのテーマソングだ!」と励まされ、そしてまた歌いつづけ、震災後東京で感じるフラストレーションからか我が家にとっても完璧なよい主というわけにはゆかず、それでも音楽をつづけてゆくという事は揺るぎ無いことであり、結局はそれだけしかできず、とにかくあのウタを歌いつづけました。続けてゆく中で常に思い出すのはやはり亡き父ピアニスト松谷翠、亡き師ピアニスト本田竹広、そして命を削る様にNYの自宅で録音しつづけているまだ生きているもう一人のピアニスト菊地雅章、この3人のことでした。松谷翠は決して良い父親とは言えない人物でした。父が亡くなった今でも僕は父との関係性を整理しつづています。でも松谷翠が僕に残した最大の音楽は「うまくは言えないし、うまくできないけれど、妻や家族のことを愛している。これは本当のことなのだ。うまくできないとしてもこの情熱だけは。」父が演奏したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、父が日本で初演したヒナステラのピアノソナタ、先日発見したカセットテープにある旅立つ数ヶ月以内に自宅録音されたバッハのパルティ−タ6番を聴きながら何故か涙がとまりません。2011年12月31日、松谷冬太。

[104]  (2011/12/31 Sat 20:54)

2011年12月31日(土)Pt.1

今年はいろいろありましたねええ。ホントウにお疲れサマでした。疲れたでしょう?僕は疲れています。そうですよねぇ・・・僕たちは疲れています。ある意味、来年の僕らのテーマは「僕たちは疲れています。少し休みましょう。。」だと。まずこれをお伝えしてから、今年さいごの日記を書きたかったんです。休みましょう。。おやすみなさい。今日僕は、も〜いいでしょ〜う、というくらい、眠りました。昨日のことが思い出せないくらいに(笑)。。。そ〜だあ・・・昨日は毎年恒例の築地の買出しにいき、粋ですてきな活気ある築地のお兄さん、お姉さんたちに元気をいただきに・・・世界中のマグロが激減している現在、いま我が家では特別な時にマグロをありがたくいただき、以前よりもかなりマグロを食べる回数が減りました。その中でもこの年末の買出しの時は、よ〜く吟味して鮪を選びありがたく、美味しくいただきます。そして蛸、いくら、山本の黒豆などのおせち、そして今年は、今はまってる「ぬか漬け」も。そして買出しの合間にいただく「かんの」の三種丼(笑)。あっこのすし飯は酢の加減が絶妙に庶民的で美味しいのです。と、まあ一年の〆にはさいこうですね、築地。今年は3・11の直後、家族を日本に残してピースボートに乗りナポリ、そしてギリシャのピレウスでは東北への義援金を募るパレードで若い人達とWe are the worldを歌い、帰国後は家族を移していた九州熊本と東京を行ったり来たり飛び回り、5月の国分寺カフェスロー10周年の集いをきっかけにBridge Over Troublewaterを歌いつづけて、めげそうな時も、我が心の師で友の辻信一さん、善了寺カフェデラの成田さん、江戸学の田中優子さんたちに、「これは3・11後を生きていく人たちのテーマソングだ!」と励まされ、そしてまた歌いつづけ、震災後東京で感じるフラストレーションからか我が家にとっても完璧な主というわけにはゆかず、それでも音楽をつづけてゆくことはもう自身で決めたことであり、結局はそれだけしかできず、続けてゆく中で常に思い出すのはやはり亡き父ピアニスト松谷翠、亡き師ピアニスト本田竹広、そして命を削る様に録音しつづけているまだ生きているもう一人のピアニスト菊地雅章、この3人のことでした。つづく。。。

[103]  (2011/12/31 Sat 16:09)

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