2013年1月9日(水)Pt.1

たったいま書き出して思い出しました。今日1月9日はわたくしの父、ピアニスト松谷翠マツヤミドリの命日です。亡き父が旅立ってから19年もの月日がながれたのでした。1994年の1月だったから・・・そうですよね?もう数えるのがむずかしくなったくらいにながい年月が経ったということなのでしょうが、こんなになが〜い時間がたったのだから悲しくなくなった、というお話ではありません。今もこの日記を書きながら親父さまの奏でたピアノの音が聴こえてくるようで父松谷翠の生き様を思い出すと涙があふれます。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、バルトーク、スクリャービン、スカルラッティ、ドビッシー、リスト、プロコフィエフ、ブラジルの生んだ偉大な作曲家ヴィラ=ロボスの作品の数々、父松谷翠が日本初演したアルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラの作品の数々、そして父がデビューの頃から最も精力的に取り組んだとも言える邦人作品、昨年の大河ドラマの音楽をおつくりになられた吉松隆氏・童謡などでも知られる小倉朗氏・山田洋次監督の映画「息子」の音楽などもおつくりになられた松村貞三氏・交流の深かった佐藤敏直氏(我が家ではトシナオ氏のことをビンチョクさんと呼んでいたっけ・・・)そして八村・三善・武満・・・そう、聴こえてきます。一日中とにかく一日中ピアノを弾いていました。外に出るのは大好きな映画館へゆくときくらい。それから教え子のいる旧校舎のあった江古田、日大芸術学部音楽科へ行っているとき。あとはずーーーーーーーーーっとピアノを弾いていました。Pt.2へつづく・・・

[126]  (2013/01/09 Wed 13:10)

2012年12月23日(日)

昨夜は、僕の幼馴染で親友、権藤知彦が参加していた、高橋幸宏氏の60th Anniversary Live文化村オーチャード・ホールへゆきました。舞台の上にはゴンをはじめ、僕のふる〜くからの友人・知人たち、ケンちゃん白根賢一氏、おやまだくん小山田圭吾氏、そして今年の道フェス(道との遭遇)でご一緒した方々がいて、なんだかとても不思議な気持ちでお祝いしながら、憧れのユキヒロ氏の音楽の歴史と僕らのたどってきた道のりをかさねたりしながら喜びと哀しみの音楽にただただ浸ってきたのでした。コンサート終了後乾杯の場所にご一緒させていただき、とにかく一言だけでもお祝いと敬愛する気持ちを伝えたくてユキヒロさんのところへゆきました。これだけなが〜くこのくにのおんがくぎょうかいであんなにクォリティーの高い愛のある音楽をつづけてきたあの方は、やはり昨夜も内向的で、まるで片時もクリエイトすることを手離さないかの様にさえ思える素敵に素敵にカッコイイ、アーティストな人でした。ひとはみんなアーティスト。僕もシャツの襟を正し背筋をピンッと伸ばしたくなる様な気持ちになります。
今年の夏至の頃、馬喰町のカフェ・フクモリでの権藤知彦とのレトロフューチャリズムのライヴの告知のために僕が書いたもの、シェアーできればと想い、ここに載せますね・・・

Retrofuturhythmレトロフューチャリズム。
マツヤフユタとゴンドウトモヒコの2人は幼なじみ。僕らは子供の頃、おんなじ小学校へ通った。その小学校の別々の教室で、ボタンひとつで何でも可能になる、シンプルな未来を想像して、みんなで絵を描いた。(しかし○十年後の今その未来の世界はどうでしょう?)テクノロジーの進化によって一見便利になったかの様にみえるこの世界。でも本当に僕らが感動できるハプニングに出会うまでには時間がかかるのです。太陽と月が出会う月食や日食のように・・・そして名作『パパラギ』にあるように・・・そんな僕らの中にあるシックス・センスから溢れるようなアート、音、を奏でたい。
そしてレトロフューチャリズムは生まれました。

こちらへど〜ぞっ!
http://fuku-mori.jp/event/2752.html

[125]  (2012/12/23 Sun 09:15)

2012年12月5日(水)Pt.3

おはようございます。さあっ!今夜はっ、素晴らしい!稲田進とアメイジングな仲間たちとのフラメンコの舞台なのです!マツヤにとって、新しい音楽世界へ・・・エル・フラメンコへいってきまーすっ!

では・・・つづきをど〜ぞ。

その誰もが体験する、とっても大きなテーマ「死」への想いを共有する特別な時間、
それが店長・上野宗則が気まぐれに開店する「スロー・デス・カフェ」なのです。
いらしてくださった方の中には「スローです。って何かと思いましたよ〜」
何だかよくは解らないけど来てみたらテーマが「死」でビックリ!という方もいらっしゃったり・・・。
でも、その想いをシェアーする時間を一緒に過ごした後、なんだか心が満たされる感覚になったのは僕だけではないと思います。
そう!「スロー・デス・カフェ」に初めていらしてくださった、もうひとりの兄弟、中村隆市さんもきっと「しぇあわせ」を感じてくださったことでしょう・・・
いやぁ・・・やっぱり旅はいいですね〜。なんてったって待っていてくださる人がいる。ぶらぶらしながら気まぐれなスロー・デス・ブラザーズを温かく向かえてくださった、
フェアトレードの街・熊本の明石祥子さんや皆さん、TAO塾の波多野さんや皆さん、マウントヒルヨガスタジオの山坂さんや皆さん、矢野さんたちウインドファームの皆さん、そしてテリーさんやファミリー、
スロー・デス・ブラザーズより愛をこめて・・・We Thank You Sooooo Much & We Love You Sooooo Much !!!
そして、まだスロー・デス・カフェを体験していない貴方さま、
またの開店の日まで・・・See You Sooooon !!!

3回にわたり読んでいただき、ありがとうございました。マツヤフユタより

[124]  (2012/12/05 Wed 07:48)

2012年12月4日(火)Pt.2

ブラザーズの拠点でもある善了寺カフェ・デラ・テラ(境内に素晴らしい藁と土の家・ストロー・ベイル・ハウスのカフェ、聞思堂ができたばかり!皆さんぜひいらしてっ!)などで温めてきた僕ら兄弟の「死」への想いを、
ぶらぶら人類学の中のエッセイを辻さんが朗読したりしながら、ナマケモノ倶楽部の兄弟みたいな、向谷地さんたち北海道・浦河「べてるの家」の思想、「おりてゆく生き方」と「死」とを合わせてお話ししたり、
そして「後ろ向き」、時には「横向き」な生き方もある。僕たちの生きる選択肢は、「前向き」ばかりではない、という様なお話を、例のごとく辻信一という人の中で、今「旬」なテーマとともに、その想いをソウルフルに語り、
そして皆さんと歌い、踊ったのでした。
このツアーで僕が興味深く聴いて、シビレテいた辻さんのフレーズは・・・
「ぼくの母親はいいおんなだったんです・・・」辻さんのお母さま、画家・臣華さんのことです。
そして
「ぼくの母親はぼくを生んでくれただけでなく、ぼくのために死んでくれたんです・・・ぼくらのために道筋をつくっていってくれた・・・」
これを聴いて泣き虫の僕が普通でいられるわけがありません。
そのあと何を歌ったかおぼえてないもの。

そして、次男の上野宗則がいなければ、きっと僕は三男になることを選んで生まれてはこなかったでしょう。
思い出せば、あれは僕の最愛の家族が旅立つ数日前でした。
ゆっくりノートブック・シリーズの一冊「スローメディスン」で辻信一氏と対談した方、僕らの敬愛する、上野圭一氏のお宅へうかがうことになり、
次男・宗則の運転する車中、僕らはひたすら「死」について語り合いました。途中、海辺に車をとめて、砂浜を歩き、海を見ながら宗則さんが話してくれたエピソードを僕は忘れることができません。
あの宗則口調で「見てください。あの水平線が見えるでしょう?死とはあの水平線の向こうへいって見えなくなっているだけで、けしていなくなったわけではないんですよ〜・・・」
その小旅行から家に戻り、僕はその最愛の人にそのエピソードを伝えて、家族そろって食事をした。数日後、義母は旅立った。
義父は96歳。今も自分の足で歩いてしっかりと生きています。愛する亡き人を想うもスロー・デス。96の義父と一緒に生きるもスロー・デス。つづく・・・

[123]  (2012/12/04 Tue 11:26)

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